太宰治の生涯・作品・愛人

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太宰治は、その名を聞いたことがない人はいない程、
有名な日本の小説家ですね。

有名ですが、太宰治について詳しく知っている人は
少ないのではないでしょうか?

ほとんどの人が

「名前くらいは知っている」

「人間失格だっけ?」


くらいだと思います。

そこで太宰治について詳しく調べてみました。

●太宰治の生涯

太宰治は、1909年(明治42年)6月19日に、
青森県北津軽郡金木村(現在の青森県五所川原市)で産まれました。

父親は大地主の津島源右衛門です。
母「タ子(たね)」との間の6男です。

本名は「津島修治」です。

父の津島源右衛門は、
県会議員、衆議院議員、多額納税による
貴族院議員等を務めた名士で、
津島家は「金木の殿様」と呼ばれるほど
エリートだったそうです。

1923年、青森県立青森中学校に入学直後、
父・津島源右衛門が亡くなります。

その後1925年頃から、
作家を志望
するようになり、
級友とエッセイ・小説・戯曲を発表するようになります。

芥川龍之介の自殺に衝撃を受け、
この頃から芥川龍之介を敬愛するようになります。

その後も同人誌や雑誌に
作品を発表するようになります。

また、太宰治は、当時「治安維持法」
取り締まりの対象になっていた
「共産主義活動」に没頭しています。

1929年12月、自身の階級に悩み、
「カルモチン自殺」を図りますが
未遂に終わります。

その後も愛人との心中も含め、
何回もカルモチン自殺を図りますが、
いずれも未遂に終わっています。

1938年に短編「走れメロス」を、
1947年には華族の没落を描いた長編小説
「斜陽」を発表し、人気作家となります。

その後、「人間失格」「桜桃」などを書いたのち、
1948年6月13日に愛人の山崎富栄とともに、
玉川上水にて入水自殺をします。
38歳没です。若い死ですね。


●太宰治の作品(代表作品抜粋)

・女生徒(1939年)
・思ひ出(1940年)
・走れメロス(1940年)
・新ハムレット(1941年)
・駆込み訴へ(1941年)
・富嶽百景(1943年)
・津軽(1944年)
・新釈諸国噺(1945年)
・惜別(1945年)
・パンドラの匣(1946年)
・ヴィヨンの妻(1947年)
・斜陽(1947年)
・人間失格(1948年)


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●太宰治の愛人一覧

太宰治は結構、愛人を作っています。

妻は「津島美知子」で1939年に結婚。

●田部シメ子
銀座のカフェの女給・人妻。1930年に出会う。
その年に二人で鎌倉にて入水自殺を図るが、
シメ子のみ死亡

その後、太宰治は自殺幇助の容疑で
逮捕されるが、父・津島源右衛門の
権威により起訴猶予となる。

●小山初代
芸妓で、客の一人だった太宰治と
1930年に内縁の妻となる。

このとき田部シメ子との自殺未遂が発覚して、
初代は激怒する。

1936年太宰治の義弟と関係を持つが、
1937年に太宰治に関係がばれる。

ばれた後に二人で、玉川温泉付近で
カルモチン自殺を図るが、二人とも未遂で終わる。
同年6月に正式に離婚。

●太田静子
滋賀県出身の歌人。
1940年頃、太宰治宅を訪れ、恋に落ちる。

関係が深まるが、太宰治の妻・津島美知子から
疑惑の目で見られるようになり、
太宰治の発案により、門徒との逢引を勧められるが拒絶。

太宰治から小説の材料にと
日記の提供を依頼
され、
これが小説「斜陽」の材料になる

また、太宰治の子を身ごもるが、
太宰治の態度が冷たくなり、関係は冷える。

この時、太宰治は山崎富栄と
関係をもっていたとされる。

●山崎富栄
美容師で太宰治の最後の愛人。

太田静子とは同じ愛人としてライバル関係。

太田静子が太宰治の子を出産したことに
大きな衝撃を受ける。

太宰治の看護や執筆活動の介助を続けていたが、
1948年に太宰治とともに入水自殺を図り、
太宰治とともに死去

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有名な作家ほど、波乱万丈な人生ですね。
どうです?太宰治に興味を持ちましたか?

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